yaranebapapa’s diary

これまでの人生?

これまでの人生?第1章

生まれは地方の田舎町です。昭和50年初め。

父母と私3人家族で、一人息子として生まれました。

母が10歳上の年の差のある両親でした。

今思えば、そこそこ貧乏だったみたいです。

まず誕生日、クリスマスを祝った記憶もありませんし、プレゼントを貰ったこともありません。

もちろんお年玉や毎月のお小遣いも、貰った事もありません。

オヤツはお菓子より、煮干しや、乾燥昆布などをよく食べてました。

洋服もその当時やんちゃ盛りな男の子でしたので、膝や肘など擦り切れたりしても、母がワッペンなどで補修して、着てました。

 

その当時は生まれた時から、その環境で育ったので、当たり前だと思ってたので、自分自身気にもしてませんでしたが、同年代の友人達に話すと、かなりビックリされます。

 

凄く貧乏ではなかったので、外食などはしてましたが、うどん屋がかなり多めで、たまに焼肉!でも何の肉かわからないぐらいの、食べ放題!

 

家族旅行なんて一度も行った事ないですし、近隣の親戚の家に泊まるぐらいでした。

 

小学生の頃は両親はお酒が好きで、両親の友達が来て宅飲み後に、スナックに行ってましたので、始めの頃は夜中目が覚めたら誰もいない事もあったので、知恵がついてきてからは今日は多分夜出かけるだろうからと、起きといてみたら僕もスナックに連れて行かれるようになりました。

それからは、週末の夜になるとスナックに!

それが家族で出かける楽しみになってました。

今思えばそんな事ある?って感じですが、当時は普通の感覚でしたね。

また当時は瓶ビールが主流で、よくビールの泡をねだって飲んでましたね!

 

一人っ子と紹介しましたが、実は種違いの姉が14歳上に居まして、僕が生まれる前から母の前夫のところにいましたので、一緒にすんでいませんでした。

 

姉は唯一プレゼントなどを送ってきてくれてたので、小さい頃は大好きでしたが周りの友達は兄弟一緒にすんでるし、私と姉は歳が離れすぎてるしなんで?と思った事から、母に尋ねると実はお父さんが違うと聞かされ、私は疑いながらも大好きな姉でしたので、ショックだったのを覚えています。

 

まあ小学生あたりまでは、こんな感じでしたが中学校に入学してすぐからは、地獄の日々のはじまりでした。